【 HIPHOPとは? 】
ヒップホップは1970年代初頭に、ニューヨークのサウス・ブロンクス地区で生まれた。
「HIP HOP」というのは「BRONX」で育まれたカルチャー。
「BREAKING」
「MC(RAP)」
「DJ」
「GRAFFITTI」
そして「KNOWLEDGE(知識)」
という5要素によるカルチャー。
その地域には、貧困でドラッグにおぼれる人や、ストリート・ギャングが多い地区であり、古いボロボロの建物が並ぶ町だ。
1970年代当時、世間ではディスコが大ブームだった。だが、貧困なアフリカ系アメリカ人の若者達は、ディスコに遊びに行くお金がない。
そこで、彼らは公園に集まりパーティーをするようになる。
家から運んできたターン・テーブル(レコード・プレーヤー)を、外灯のコンセントに差込み、DJがレコードを回すなかでダンサーが踊り、グラフティー・アーティストは建物や列車に絵を描き、MCはラップを披露した。
パーティーは、ブロック・パーティーと呼ばれ、貧困な若者達は、お金のかからない公園で遊んだ。ヒップホップのオールドスクールの始まりである。
DJクール・ハークは、レコードを回すなかである発見をした。
一曲のなかでブレイク・ビーツ(間奏)が一番盛り上がることに気づいたのだ!!
そして、同じレコードを2枚持ち出し、2台のターン・テーブルでつないで、ブレイク・ビーツを長く保った。
長いブレイク・ビーツのなかで、ダンサー達は独自のダンスを披露し、パーティーは盛り上がりを見せる。
ダンスはブレイク・ダンス(間奏=ブレイクの部分で踊るから)と呼ばれ、ブレイクダンスをする少年たちをB-BOY(ブレイク・ボーイ)と呼ばれだしたのはこのころからである。クール・ハークがB-BOYと命名したとも言われている。
この時代をおおまかに『オールドスクール』と言われます。
日本には1983年に、映画『Wild Style (ワイルド・スタイル) 』来日した「Rock steady crew (ロックステディクルー) 」によって紹介されました。

NYC Breakerz Vs Rock Steady Crew
ファッションはカンゴールのハット、カザールのメガネ、ゴールドのネックレス、アディダスのジャージ、アディダスのシューズ、ケミカルジーンズ、スタジャンなど着用。派手さがありダボダボっよりもジャストなサイズ感。
そして時代とともに新しい音楽が生まれ新しいダンスが生まれていきます。
1989年に、東海岸のヒップホップ界に「ネイティブ・タン(Native Tongues)」というトライブが新たなヒップホップをもたらした。
それと同時期に西海岸ではニュージャックスイングが大流行!!
この頃からの年代を日本では『ミドルスクール』と呼ぶことが多いです。
(海外ではニュースクールかオールドスクールで分類することが多い。)
ネイティブ・タンとは、ギャング的なものではなく、また、組織でもない。ポッセやクルーといった仲間でもない。意気投合したヒップホップのグループ同士が集まったトライブ(部族)である。


日本でもいるね
A Tribe Called Quest - Can I Kick It?
BOBBY BROWN - Every Little Step
日本にニュースクールの新しい波がニュージャックスイングミュージックの流行とともにやってきた。
ボビーブラウン、BBD、ガイといったアーティストの新たな音楽が流行し、そのビデオで出てくるブレイクダンスとは違った新しいステップ系の踊りが日本の若者のハートをつかんだ。TRFのSAMやCHIHARUがレギュラーダンサーとして出演していた「ダンスダンスダンス」(フジTV)や、現EXILEのHIROが所属していたZoo(Taco、Naoya、Mark、Satsuki、ルーク、Hiro、Cap、HIsami、Sae)を生み出したTV番組「DA DA LMD」(TV朝日)などが始まり、そのムーブメントは流行に敏感な若者達の間に広がっていった。
ZOO CLUB DADA LAST
MEGAMIX (TRFの前身グループ)
そして何と言ってもブレイクダンス以降の第二次ダンスブームを呼び起こしたのは、「たけしの元気出るテレビ」のコーナー、ダンス甲子園。このダンス甲子園は全国ネットで日曜日の8時という時間帯、そしてもともと「たけしの元気がでるテレビ」が人気番組であったことから、高校生を中心にダンスが爆発的なブームとなった。その当時出演していた絶大な人気を誇るダンサーがLL BROTHERS。番組公開イベントを江ノ島で行った際には、2万人以上が詰めかけるという事態になったほど。
ファッションは、ガンビーやボックスヘアに柄シャツやシャカシャカシャツ、サルエルパンツ、スラックス
で日サロ!!マストwww
靴は革靴だったり(踊り難そう)
LL BROTHERS in 1990
メディアの影響力ハンパないです!!
東京ではガンビーヘアに柄シャツ、こんがり日焼けした『ボビ男』や『ハマ男』が急増したとのこと…
それから少ししての1992年にヒップホップダンスシーンの革命となるドキュメンタリー番組「Wreckin’ Shop Live from Brooklyn」通称ALIVE TVが放送されるのである。
この番組は、ホストを務めるラバーバンド(Rubberbandz)を始めとするキート(Kito)、マークエスト(Mar-Quest)、プランサー(Prancer)、ピーカーブー(Peek-A-Boo)等のミスフィッツ(misfits)一派、そしてヘンリーリンク(Henry”Link”)、ブッダストレッチ(Buddah Stretch)、ルースジョイント(Loose Joint)のオリジナルエリートフォース(Elite Force)が登場し、当時のニューヨークのダンサーにスポットを当て、ダンス、音楽、ファッション、ヒップホップなライフスタイルを紹介したものです。自宅や練習していることろ(たまり場)クラブ遊びなど…
その映像は日本をはじめ、全世界に多大な影響を与えたと思います!!
Wreckin' Shop Live From Brooklyn (Alive TV) アライブTV なんと日本語字幕!親切
これをリアルタイムで観た人は
すぐに近くの公園に練習!!
夜はクラブでガン踊り!!
そしてドレッド!!
だったことでしょう
なんで??
だって、YouTubeとかない時代に衝撃的な映像ですよ。
日本に入ってきたときにはVHSのビデオテープですからwww
全然違うファッション、全然違う音楽
敏感な人には衝撃!!カルチャーショック!!ですね
1992年はバルセロナオリンピックが開催された年で、ラルフ ローレンが1920〜1930年代のアメリカのスポーツ選手が着用したユニフォームからインスピレーションを得て発表した伝説のコレクションがあり、ドキュメンタリーの中でそのウエアを着用していることから当時のダンサーにはマストなアイテムになっています!!
オリジナルはとても高騰していて、古着でも高額で取引されています。
ほかにオーバーサイズのポロシャツ、ジャケット、ボーダー柄、バギーパンツ、オーバーオール、ブーツ、ダウン
ブランドはゲスやティンバー、トミー、ノーティカ、ジルボー、GAP
どこでも手に入る大衆的なブランドが多いです。
このころはダボダボが多かった。
一説によると、服を買うお金がなかった為服のお下がりを着ていたとか、倉庫に盗み入って在庫として余っているサイズがデカイものになったとか…
この時代に生まれてないからわからない

1992コレクション!!
※コレクターのことを『ローライフ』という
世界各地に支部が存在する
それから1994年にはALIVE TVに主演していたElite Forceが「JAPAN DANCE DELIGHT Vol.1」のジャッジとして初来日!!
Elite Force
ストリートダンサーがメディアに出ることが増え、それに憧れるヘッズ達が急増!!
Mariah Carey - Emotions
Alive TV に出演のダンサーが多く出ている
そこからZOOやBOBBYなどシーンのカリスマ的存在の大きな影響により、90年代後半からはBABY NAIL (RYUZY、MATSU、MAKI-D、USA)が大活躍 ※現EXILEのMATSU、MAKIDAI、USA
Baby Nail
HIPHOP JUNKEEZ
※衣装はPOLO縛り
2000年代に入ると『HIPHOP』は1大カルチャーとなり多様化していきます。
アンダーグラウンド的な要素はそのままに、オーバーグラウンドでエンターテイメント性の強い音楽も生まれ、それに合わせてダンスも生まれ進化していきます。
ファッションも大衆向けではなく、専門のお店ができたりアーティスト自身がオリジナルブランドを出しカルチャーと密接に繋がった個性的なものになっていきます。
ニューヨークハーレムのクルー、ハーレムシェイカーズ(Harlem Shakers)が流行させたシェイク(SHAKE)や
ロサンゼルス サウスセントラル発、トミー ザ クラウン(Tommy The Clown)によって広められたクラウン(CLOWN)、その教え子タイト アイズ(Tight Eyes)らによって広められたクランプ(KRUMP)


The Real Harlem Shakers!!
Tommy the Clown & the Hip Hop Clowns in SoCal
KRUMP
最近だと日本で一番大きなストリートダンスのコンテスト『ジャパンダンスディライト』で優勝したのがクランプのチームでした!!
話しはかわってシーウォーク (C-Walk)またはクリップウォーク(Crip Walk)というステップがあります。
シーウォーク (C-Walk)またはクリップウォーク(Crip Walk)とはロサンゼルスのギャングCripsが敵対ギャングに勝利した時に行うステップ。
C-Walkの“C”はチーム名のCripsから来ている。ウェストコーストヒップホップのリズムに合わせて倒した相手の血をつま先に採り“C”の文字を地面に書いたのが始まりと言われている。ダンスステップの一部として取り入れられる事も多い。LAのラッパーでありWestside Connectionのメンバー、“W.C”がウェストコーストマナーなサウンドと共にライブ等でC-Walkを広めた。
C-Walk
ファッションはゲームシャツやバンダナ、デニム、チノパン、オーバーサイズの動きやすい感じかな~
2000年代にロサンゼルスで生まれた『Jerkin』ジャーキン
ストリートから生まれたこのダンスはアーティストが曲名にJerkを入れたり、PVやMVにダンサーを入れて若者から人気になりました。
その有名になったダンサーが曲を出してデビューしたりと勢いがスゲー!!
ファッション性が高く、カラフルなスキニージーンズ、カップ、アクセサリー、シューズなど
全体的に派手!!目立ってなんぼ
的な雰囲気がすげっす